終戦80年を迎えて  教会長    

 歴史の授業で、これで戦争が終わったということを、目で見て学んでもらおうと思い、玉音放送の映像を子どもたちに見せました。彼らがそれをどのように受け止めたのかはわかりません。私も、実際にその場にいたわけではなく、過去の歴史の一コマとしか、受け止められていない部分もあります。しかし、当時この場に居合わせた人々が感じたことは、まことに複雑で、色々な感情が入り交じっていたのだと想像できます。

 何にせよ、日本の歴史が大きく変わる昭和20年8月15日だったのです。 その日から約2ヶ月前の6月5日朝、日本軍によって撃墜された米軍B29一機が、名張市青蓮寺の山中に墜落しました。搭乗員は11名。うち2名は死亡。パラシュートで降下した9名の乗組員のうち、奈良県曽爾村側へ降りた3名は榛原警察へ、名張市側に降りた6名は名張警察へ連行され、いずれも8月10日前後に処刑されたそうです。

 青蓮寺地蔵院境内に落下した機体の破片を拾いあげた当時の住職は、遠い異国で亡くなった米国の若者のことに思いをはせ、「戦争の犠牲者は敵も味方も同じ」という思いで供養をしていました。

 終戦間近のこの頃、名張市も空襲の被害に遭い、赤目口駅、美旗駅、蔵持小学校などが空襲の被害を受けました。

 時は流れて、戦後61年目の平成18年、前住職の思いを受けついだ現住職が「B29乗組員11名追悼碑」を、翌年には乗組員の名前を刻んだ石碑を建立し、二度と戦争の惨禍が繰り返されないこと、戦争で命を失う悲しみは、国が違っても関係ない、今ある平和の尊さに感謝するという思いをこめ、この墜落現場で毎年「平和の集い」が開催され、今年も参加してきました。

 名張市宗教者連帯会が中心となり、宗派を超えた平和の祈りを捧げるこの行事、戦後80年という日に、改めて自分が今後、何に取り組ませていただいたらよいのか、ということを見いだせるきっかけをいただきました。戦争を知らない世代ですが、亡き父の体験や、先人から学んださまざまな戦争の惨禍のお話を、若い世代に発信していける役目を務めていけたらと願っています。

 

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